1953年8月18日、イランで軍事クーデターが起き、モハメド・モサデク首相の政権を崩した。後に知られるところによると、実はこのクーデターは米国の中央情報局(CIA)が構造したもので、モサデク政権が過度にアラブ民族主義を主張してソ連側に接近したため、米国政府としてはイランに親米政権が入ることを期待したという。政権を握ったパレビ王は、米国の期待に合わせて、いわゆる「ホワイト革命(White Revolution)」という名前のイランの西欧化を積極的に推進した。しかし、これと同時にイラン内で急激な西欧化に対する半減とともに貧富の違いに対する不満が高まった。
パレビ政権の弾圧を避け、外国に亡命したホメイニをはじめとする過激なイスラム指導者たちは、このような雰囲気を利用して遠くからイランの反政府運動を指導した。結局、パレビ王とその家族は1979年1月17日に亡命し、再びイランに戻ることはできなかった。今日、イランは経済的苦痛が日増しに深刻化しており、一方では人権弾圧問題で国際的な非難を受けており、国民の生活が非常に厳しい。
これらのすべての苦痛は、イラン国民が少数の扇動家や過激な分子に騙され、自分たちの民主主義のために戦わなければならないときに沈黙したり、さらには自ら地獄へと歩いて行ったせいだからだ。今日、必死に国外に脱出しようとするイラン人を見ながら彼らを非難するのは簡単だ。ところが今、世界中の多くの人々が、まるで70年代のイラン人のように自分の意志によって地獄を選択しているのではないだろうか?